!!!主宰、伊藤博からのメッセージ !!合唱塾第一期公演あいさつ文より  私が少年期を過ごしたのは島根県の西部石見地方、そこから汽車で30分も西に行くと長州藩都の萩に着く。言わずと知れた明治維新の重要な舞台の一つである。 そこから高杉晋作、桂小五郎、伊藤俊介といった後の明治政府の指導者が輩出した。 彼等を育てたのが吉田松陰であり、その学校が「松下村塾」である。  松陰のようなタイプの人間は今ほとんど見ることは出来ない。彼がまだ若いころ、学ぶということは「歩く」ことと殆ど同義語であった。 彼の知識欲、向上心たるやエキセントリックとしかいう他は無い。 松陰に限らず、向学心旺盛な若者は目標達成の為には、脱藩(当時の武士にとっては犯罪的であったろう)も厭わず出奔、全国を歩き回った、いや、松陰はアメリカへ密出国さえ企てた。  歩くのは何のためか、それは勿論学ぶためである。 では何を学ぶのか。私は当時の人たちにとって学ぶ一番の対象は「人」であった、と思う。 その人の全人格に接するために、遠く、遠く歩きに歩く。 何よりも学ぶにたるその人物の全人格にふれ、磁力を、オーラを浴びる。 このことは松陰から100年以上たった今、我々に大事な何かを囁きかけてくれる。  その呼びかけに呼応し、私もまた大切な人、人を訪ね、歩くことになるだろう。 合唱塾と松下村塾に共通するのは塾という一文字だけかもしれないが、私の地下水脈においてはつながるものがなくもないのである。 !!バッハへの道筋 !第2期公演あいさつ文より  「合唱塾」も立ち上げから2年を終えようとしている。 合唱、アンサンブル、指揮法研究サークル、と少々欲張った活動範囲ではあったが、塾生諸君の頑張りでなんとか自転し始めたようである。  ルネサンス、バロック音楽を中心にすえての出発は当初の不安を払拭したばかりでなく、多くの実りをもたらしてくれたように思う。 なによりも、合唱の原点は、グレゴリオ聖歌、ルネサンス、バロック(それも初期)にあることを肌で感じることが出来たことは、なかば予期していたとはいえ幸せなことではあった。  さて、過ぎ去った2年を振り返ったとき、やはりこの期間は助走であり、なにか意味のある活動への予備期間であったようにだんだん思えて来た。 音楽史はこの次にバッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンを用意してくれるのだが、合唱塾もどうやら同じような道筋をたどっているらしい。 しかしベートーヴェン以降まではどう考えても自分の時間が少なすぎるようだが、バッハあたりまでだったらなんとか間に合いそうな気もしてくる。 となると3年目からターゲットをバッハにすえるのも面白いかもしれない。 '''合唱塾10年プロジェクト「バッハへの道筋」とか。'''  とはいえ、今の自分にとっていきなりバッハはあまりにも荷が重い。 あせらず10年くらい時間をかけて、塾生と一緒に山登りのつもりなら何とかなるだろう。 でも、もしバッハにたどり着けなくてもいいと思う。それは、そこに向かうまでの道筋の魅力がはかりしれないほど大きいからである。 パレストリーナ、モンテヴェルデイ、シュッツ、バード。 この人たちを訪ねるだけで寿命はつきるかもしれない。 よしんばそうなったとしても後悔することなど絶対にないだろう。 なぜならこの人々はバッハに勝るとも劣らないほどの価値を有する、音楽の、合唱の大巨人なのだから。 !モンテヴェルディ倶楽部に寄せた文章より抜粋  日本の合唱界では声、合唱だけが真に音楽であった時代(バロック期以前)のお宝をあまりにもおろそかにしているが、私にとってはこんなおいしいものはいただかなきゃ損だし、むしろニッチの空白に感謝したいくらいだった。  そうこうするうちに、予定より少し早めに仕事からリタイア出来たので、合唱大学に入り勉強しなおそうという気になった。 しかし現実にはヨーロッパにもそんなものはないし、またこの年で習い癖や学生根性を身に付けても始まらない。 ま、何でもどこでも見、聴くにほかはないと一年近く、ヨーロッパのセミナー、(特に古楽系、そして声だけでなく意識的に器楽系を)プロ、アマを問わず合唱団、アンサンブルグループを見聴(毎日が初見の練習)し歩いた。 結果、グレゴリオ聖歌、ルネサンスの「線の音楽」、初期バロックの「ドラマ性」(オペラに限定されない)は自分にとって必須のものと思えてきた。 そして技術的には、古楽器の技法が合唱音楽の表現にどのくらい重要でかつ刺激的なものかも。  こうしておぼろげながら方向性が見えはじめた。  帰国してまだカオス状であったそのイメージが形をなし始め、むしろ発酵の気配もし始めたので、かねてから自分が抱いていたアイデアとドッキングさせたプロジェクトを立ち上げることにした。 「合唱塾」の設立である。 本来ならこれは公的な性格を持つべきものだが(例えば合唱大学のような)今すぐどうにかなりそうもないので、おこがましいことであるが、とりあえず小さな私塾としてスタートさせてもらうことにした。  やがては「音楽樹」をはじめ、合唱諸賢兄のご指導を仰がなければならないが、当面はその環境造りに専念せざるを得ない。  最終ターゲットを一応バッハに定める。  出発点をおよそ、グレゴリオ聖歌、ジョスカン、パレストリーナ、シュッツ、モンテヴェルデイ、パーセル周辺とする(そこに向かうだけでも自分の一生ではたどり着けまいが、あとはだれかが引き受けてくれるだろう)。 いわば、碁盤に最初の石を置いたようなものだがそこから碁相がどう広がるのか、期待不安あい半ばといったところだ(今のようなバーチャルリアルテイ時代、現代から、日本からバッハへフィードバックなんて手もあるかもしれない)。  いずれにせよそこには膨大な宝物が埋まっている。  それを見つけるのは難作業ではあるが、楽しいものでもあるだろう。 ---- '''伊藤 博 Hiroshi Itoh''' 京都府生まれ 1966年島根大学専攻科修了 モンテヴェルディ倶楽部音楽監督、合唱団うぐいす指揮者、 あすみが丘室内合奏団指揮者、合唱塾「千葉合唱団」主宰 千葉県合唱連盟顧問